世界初の実用可変翼機であることを始めとする新装備などで、航空史を塗り替えた戦闘爆撃機「F-111」。その歴史は、どのようなものだったのでしょうか。
世界初の実用可変翼機として知られ、航空技術史にとっても重要な航空機なのが、ジェネラルダイナミクス(現ロッキードマーチン)F-111戦闘爆撃機です。最後までF-111を使用していたオーストラリア空軍での引退は2010年。そこから14年が経とうとしていますが、このF-111の経歴を振り返ってみましょう。
「翼シュッポーン!」世界初の装備マシマシ超音速機、なぜ誕生?…の画像はこちら >>アメリカ空軍のF-111E「アードバーグ」(画像:アメリカ空軍)。
F-111の初飛行は、1964年12月21日。この機体は冒頭に記したとおり実用可変翼機であるほか、それまで一般的だったターボジェットエンジンより燃費効率の高い「ターボファンエンジン」を装備した世界初の超音速機でもあります。
この機体の誕生の契機のひとつになったのが、1960年に旧ソ連(現ロシア)上空で、アメリカのU-2偵察機が撃墜される事件でした。この事件を契機に軍用機を取り巻く環境は大転換します。
それまではソ連戦闘機が到達できない高高度であればソ連上空を飛行することが安全であると信じられていました。U-2撃墜事件で、レーダー誘導地対空ミサイルがあるとり、高高度であってもけっして安全ではないと認識されるようになったのです。
これは用兵思想において、大転換をもたらします。つまり、それまで高高度を高速で飛行することを前提にしてきた多くの軍用機が、運用方法の見直しを迫られることにつながったからでした。そこで採用された飛行方法が「超低空高速飛行」です。超低空を飛ぶことで敵のレーダーから身を隠し。高速で飛ぶことで対空砲火を回避することを目指しました。
当時、アメリカ空軍ではF-105戦闘爆撃機の後継機に、この超低空高速飛行能力と長い航続距離を要求しました。また、ちょうどその頃アメリカ海軍では、新たな艦隊防空戦闘機を計画していました。ここで海軍は、艦載機として使用するための良好な発着艦性能と長射程空対空ミサイルの運用能力を仕様に盛り込むことを求めます。これがF-111へとつながります。
結果として、空軍型F-111Aと海軍型F-111Bが作られ、飛行試験が始まりました。しかし、海軍型はキャンセルとなり、空軍型だけが採用されました。ただ、F-111Aもその後順調に配備までこぎつけたわけではなかったのです。
F-111Aは飛行試験において、搭載したTF-30ターボファンエンジンが高速飛行中に、急激な姿勢変更などによりエンジンに入る気流が乱れ、その結果、異常燃焼や出力低下を起こす現象、いわゆる「コンプレッサストール」が発生しやすいことが判明しました。
そのため、エンジンの改良と空気取り入れ口の設計変更を経て、F-111Dからはやっと当初の目標だったマッハ2.5の最大速度を達成しました。
こうして量産化されたF-111は、超音速機でありながら最大11.3tもの兵装を搭載することが可能でした。また、大きな強みとして、オートパイロットとの連動が可能な地形回避レーダーを搭載しており、自動操縦を使用して超低空高速飛行が可能なことなども挙げられます。
この能力に当時の戦略空軍(SAC)が目を付けます。
戦略空軍ではU-2撃墜事件を契機に、当時の主力戦略爆撃機B-52とB-58がソ連の防空網を突破することが難しくなっていました。就役して間もないB-58は早期退役が決定し、B-52の後継機として低空高速飛行を前提にしたAMSA(発達型有人爆撃機)構想がまとまります。
これは後のB-1爆撃機になる計画でしたが、B-1実用化までの繋ぎとしてF-111が採用されることになりました。戦略爆撃機型はFB-111Aとして就役し、核抑止力の一翼を担います。また、長大な航続力、優れた搭載量と低空飛行能力を活用して1979年からは40機が電子戦機に改造されEF-111Aへと姿を変えました。
そのようなF-111ですが、就役間もないころは、機体の評価が高くはありませんでした。
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電子戦機仕様のEF-111(細谷泰正撮影)。
前述したテスト飛行中のエンジンの問題や、構造の強度不足や油圧系統の誤動作などの問題が判明し、これらの解決に手間取ったことに加え、型式名に戦闘機を示す”F”を冠しながら空戦能力がないことが理由です。
しかし、これらの問題を解決した後は、長い航続距離と優れた超低空高速飛行能力に加え、大きな搭載能力をいかんなく発揮するようになり、その実力が実戦で証明されるようになります。
F-111はベトナムではF-4戦闘機の4倍の爆弾を積んで、空中給油機の支援なしで北爆に投入され、4000回を超える出撃で作戦中の損失はわずか6機という記録を残しました。1986年のリビア爆撃の際にはイギリスに駐留していたアメリカ空軍のF-111Fが主力攻撃機として使用されました。この時は空中給油機の支援を受けながら往復1万kmを超える長距離作戦が実施されています。
また、湾岸戦争では、「砂漠の嵐」作戦に参加したF-111が米軍機の中では最も高いミッション成功率を達成しました。また同戦争中に投下されたレーザー誘導爆弾の実に80%がF-111により投下されたと発表されています。
湾岸戦争終結後のF-111は、可変翼特有の高い維持費が手伝ってアメリカ空軍からの退役が進められました。戦略空軍においてもB-1爆撃機の充足にともないFB-111は戦略爆撃機の任を解かれ戦術機と仕様が変更になり、その一部はオーストラリア空軍に売却されました。
なお、米軍においては最後まで使われた電子戦機EF-111が1998年に退役。冒頭のオーストラリア空軍では2010年まで使用され、現在では後任としてF/A-18F「スーパーホーネット」が引き継いでいます。